月下に眠るキミへ
 


     10


爆破予告への対処という、急で物騒な依頼が飛び込んだ格好の探偵社は、
奥向きにある事務方のスペースからの喧騒が、
壁越しながらも結構な賑やかさでBGMとなっており。
間断なく電話が鳴り響く中、伝達担当の連絡係が懸命に情報を復唱している声が輻輳し、
捉えようによっては、
どこぞの証券会社のトレーディングルームのような活気に満ち満ちていて。
それを背景にした調査員たちの待機スペースは、
全員が出払っているがため、打って変わってがらんとしていて寒々しい。
とはいえ、さすがの乱歩さんの先遣推理が効いていて、
終盤でちょっと慌ててらした追加伝達がありはしたものの、
悲壮な声でのやり取りは聞こえないので、
他の現場では いづれも何とか事なきを得ているのだろう。
そんな事務所へ砲弾もかくやという勢いで
異能を発動したまま飛び込んで来た、黒づくめの最凶マフィア殿であったにも関わらず。

 「こっちだよ、連れて来な。」

なんら動じず、外からの扉を支えて開放してやった黒髪の女医さんは、
そのままテキパキと医務室までをいざなうと、
芥川が羅生門でくるみ込んで抱えていた虎の子を寝台へと下ろさせる。
あの配電盤室から出てきてこっち、
移動中は外套を転変させた芥川の異能にくるまれ、
此処へ着いてからは清潔で乾いた病衣に手際よく着替えさせられて。
人心地つけているはずが、寒さにだろう身を縮めている少年の
髪や頬を時折宥めるように撫でてやりつつ、
何があったのかを口の重い芥川から細切れながらも訊き出し、
脈や体温、酸素消費などなどのバイタルをチェックしてゆく与謝野せんせいで。
一通りの状況を確認し、カルテへ書き込んだ一覧を見つつ、

「凍傷はほぼ完治しているね。」

耳によく通る、凛とくっきりとした声がそうと告げる。
慌てて連れて来た芥川もそこは確認していなかった、
下になってた頬やあらわになったまま床に押し付けられていた手の甲などが、
軽い凍傷を負い、場所によっては色が変わるほどの重度で腫れ上がっていたらしい。
至近から液体窒素の噴射を浴びたのだ。しかもずぶ濡れの状態で。
揉み合った折に殴られたか痣もあったが、それよりも、
肌のあちこち、厚手の上着で覆われていたはずな辺りへも
初期の凍傷が起きてたそうだが。
与謝野医師の治療や異能を使うまでもなく、
自身のずば抜けた治癒の力でだろう、既にそれらは“痕跡”へと化していて。
昏倒しているのは重篤だということか、
そしてなればこそ “異能”も迅速に治癒に取り掛かっているものか、
与謝野が 此処と指差した痛々しい赤みが、
するすると文字通りの見る間に消えてゆくのが見事なもの。
ほのかに暖房のかかった室内だということもあってか、
防御のみに働いていた異能が本格的に治癒の方向へ向き直ったらしく、

「ふくらはぎに銃で撃たれた跡もあったが、
 そっちもすっかりと塞がってるよ。」

硝煙の匂いがしたから気がついたようなもの、
何処だ何処だと探してこれかと見つけた丸い傷は、
それもまた見る間に新たな肌がピンと盛り上がって消えてゆく。
相変わらず鮮やかな回復だね、貫通してたんで治りも早かったんだろうねと、
女医せんせえは何でもないことみたいに口にしたけれど、
実のところ、その表情はやや堅い。
何しろ本職の医師なだけに、
手妻のようでもそれが異能というものだというのは承知しているものの、
本来の順番から逸脱した不自然な格好での快癒なのを案じておいでなのだろう。
それは今更だからか、ふるふると杞憂を追いやるようにかぶりを振ったところへ、

「与謝野さん、敦くんは?」

タクシーを飛ばしてやっと追いついた太宰が堅い表情で駆け込んでくる。
やや苦しげな様子のままな少年の口許へと、
透明の漏斗のような酸素吸入マスクを固定する手際を見て、
そうまで重篤なのかと悲壮な顔になった外套姿の美丈夫さんへは、

「なに、温めた酸素を吸わせるだけさ。」

医療用の器具を操る細い指先の繊細さが
冷ややかな金属の光へ添うてよく映える。
それは冴えた印象の女傑が、
見守る彼らを安心させるためだろう、ふふと花のように微笑んだ。

「濡れてた身ぐるみを乾いた衣類へ着替えさせたし、暖かな部屋へ運び込めてもいる。
 呼びかけても反応がないほど意識が戻らないものの、
 呼吸も脈も穏やかで 表情も少しは弛んだから内的にもさほど逼迫してはない。」

入社時の健康診断の折の数値からして
平熱が低い子だとは思えぬから、それを思えば今の体温はちょっと低い目ではあるが、
外傷にあたる凍傷の方も次々自分で治癒しているし、
迅速な対処が効を奏して、重大な問題は起きてや無いさねと。
手にしたカルテを見つつ、
太鼓判でも押したいか、すらりとした背条を弓なりに伸ばして、
現場に居合わせたのだろ それぞれなり頼もしい男衆二人へ概要を説明し、

「昏睡状態の今、強心薬(カンフル)は投与してはいない。
 太宰が用心したように、心室細動を引き起こす恐れがあるしね。」

それと、と。ここでちょっとばかり言葉を濁したが、
黙ってたってしょうがないかと、
寝台の傍らの卓の上、そら豆のような形をした銀色の金属のボウルをちょいと持ち上げ、
そこに幾つも放り込まれた注射器やら注射針の残骸を見せて、

「無意識のうちにも発動されてる異能に阻まれててね。」

体内低温への対処には、
透析処置のように静脈を通して、
カテーテルや点滴で、胸腔や腹腔、膀胱なぞへ
温めた輸液を直接投与するという手法もあるのだが、

「敦は注射が苦手らしくてね。」

それもまた、例の孤児院で受けた対処の後遺症、
本当は栄養剤だったらしいのだが、
常に厳しく接していた院長の冷たい態度による接種だったため、
それでなくとも幼児には恐怖の対象、
その上、毒ではないのかという恐怖が拭えず、それは怖かったそうであり。
頭では納得のいく理解が出来ていても、刷り込みはなかなか剥がせるもんじゃあない。
ましてやその身を守るという、本能に根付いた異能の働きだけに、
相手が誰であれ問答無用なのだろう。
与謝野が体温計などの医療器具を手に近づく分には問題ないのだが、
注射器やそれへ属すだろうカテーテルという長い針状の管を手にすると、
目にも留まらぬ素早さで何かが飛んで来ては弾き飛ばす。
注射器は砕かれもして、
目を凝らせば刃のような爪を剥きだした手や、まさかの虎の尾の仕業らしく。
何をと踏ん張り、近寄って針先を当てても、今度はその肌が獣化してしまい、
そうともなれば太刀の刃先でさえ通らぬ強靱な防御が固められ、
二進も三進もいかない始末。

「…私が異能を消した隙にというのは?」
「いや、それでも変わりゃあしなかろうよ。」

不快だ怖いという負の感情が沸いて敦本人を追い詰めるだけ。
無意識下なら尚更で、
それでなくとも今は微妙に不安定な心理でいようから、
防衛本能が異能を本格的に叩き起こせばどうなるか。
それと、

 「異能は だが万能じゃあないんだ。」

自分もまた異能者だからこそ敢えて言いたいのだろ、
痛々しいからかそれとも治療を阻む白虎への苛立たしさからか、
どこか重い口振りとなった女医せんせえ、

「この子はすこぶる燃費が悪いようだから、
 ついつい米や麺類で腹を膨らますような食事をしているが、
 ホントだったら肉や魚で体を作らにゃならないのに。」

最後かもしれない成長期に、しかも孤児院でずっと栄養不良状態でいたらしいのに、
今の今 筋骨作らないでどうするかと、時々説教まがいに言い聞かせている与謝野さんで。

「フル稼働している治癒の異能が
 突然 力尽きて止まってしまったら、その後はどうすんだい。」

本人に言っても詮無いこと、ましてや今は意識もない。
太宰らを相手につけつけと言ったとて、意味はないことくらい判っちゃいるが、
それでも言わずにはおれないほど心配なことなのだろう。
まったくもうもうと舌打ちしかねない表情で忌々しいと言い放ってから。
だが、ふうと深々とした息をつき。

「ともあれ、状態としては安定しているんだ、
 このままを保って、今以上に冷やさない限り、悪化はしないはずだよ。」

此処の専属医だというだけではなく仲間想いの彼女だ。
敦のあまり自身のことは話さぬ性分も重々知っているから、
その分 踏み込んで容態を見る癖もついている。
そんな彼女が、

「急変したら呼んでおくれ。」

カルテを挟んだバインダーを机へ置くと、
回転椅子の背に掛けていた、膝まであろう外套を羽織りつつそうと言い、
壁際の卓の上へ置いてあった往診用の…物騒な器具満載な例の革の鞄を手に提げる。

「どうされるんです?」

この段階では彼女に為すことがないというのは何となく判ったけれど、
今からどこかへ出かけるのだと言わんばかりの様子であり。
なんでどうしてという太宰からの焦るよな気色が伝わったか、
彼女の側でも困ったように眉を下げると、

「別の現場で迂闊にも車の誘導をミスったための事故が起きたらしくてね。
 重たい荷に挟まれて危ない状態の怪我人が複数出ているらしいのさ。」

賢治が向かっているらしいんで、重い荷をどかしての救出には難もなさそうだが、
圧迫されてた負傷者にも迅速な対処が要るんでねと、はきはきと告げる。
敦への対応の準備をしつつ、そちらの応援に行かなきゃあという支度も手掛けていたらしく。

「この場はあんたらに任せるよ。」

扉へ向かいかかったその足を止め、
太宰に手短な注意だろう一言二言を告げると、そのまま颯爽と出て行ってしまった。
専門家の言であるからには、本当に問題はないのらしく。
ジャケットをひるがえして出ていった、
頼もしき女医嬢の後ろ姿の名残りをそれでも惜しんでおれば、

「…太宰さん。」

寝台の方を向いたままだった芥川からの呼びかけがあって。
何をどうとは言いにくいらしいが、
むずがるような瞳の揺らぎへホッとするよに微笑ってやって、

「ああ。構わないよ。」

衒うことなくの即決で頷いてやる。
傍に居た中也にそこも似たものか、
社畜というのはちょっと種が違うかもしれないが
自身の強い矜持とは別枠ながら、属す組織への忠心が何より先に立つ子のはずが。
虎の子くんの傍から離れがたいのだろうそわそわした気持ちを訴えるよな顔をしており。
どうやら、このまま此処に居ていいかと問いたかったらしい。
日頃から表情の乏しい彼だが、その前に最愛の愛し子だ、
微妙な気配や表情くらい太宰には易々と見分けられるというもので。

 “与謝野さんの診立てはそれとして、
  敦くんが意識を取り戻すまでは不安なのだろう。”

タフなのは重々知っている。
当初はまるで敵ではなかったほどだったものが、
こちらの物騒な異能をそれは鮮やかに見極めるようになり、
一手一手へ俊敏に対応しつつその身を捌いて
身のうち鼻先なんていう 至近の間合いへまでするりと入ってくる手練れに育った。
いがみ合う要素はなくなったが、
だからと言って甘え甘やかしている気はさらさらなくて、(……。)
仕事で標的がかち合えば、本気で刃と牙を剥き合うところは相変わらず。
とはいえ、いやいや だからこそ、
自分にねじ伏せられるんじゃあなくの、
このような事態にて、呆気なくどうにかなられては堪らないのだろうて。

「……。」

射干玉のような黒々とした瞳が、案じるように見やるは幼い寝顔。
棘々しい表情しか向けて来なんだ対象だったはずが、
今や仲間内のような間柄と化していて。
歳が近くとも、まるきり異なる道程をここまで経て来て出逢った彼らで、
お互いに相手の何もかもが理解しえぬと嫌っていたのだろうに。

 “少なくとも敦くんの側からは、
  因縁因果なんて一切なかったはずなのにね。”

組合による懸賞金を巡ってのあれやこれやはともすりゃ建前、
太宰という存在を間接的に挟む格好、
一方的な反感やら怨嗟から憎まれ恨まれ、それは手ひどい攻撃をされて。
それが始まりという格好で、
災禍ばかりを降らせる対象、呪魔か疫病神のような存在と認識していたんだろうにね。
それを思うと、
今は 敦の側からもそりゃあ懐いて仲良くなっているなんて、
太っ腹なのか、お暢気なのか、
すこぶるつきに大物には違いないのかもと、
太宰がついつい甘いものでも含んだかのよに口許をほころばせる。
そんな彼が見やる先、
余程に心配か視線を動かさぬままなため、
師のそんな様子には気づかなかったらしい芥川が、ふと、

 「僕はかつて、あの織田という男に庇われたことがあります。」

そんな言いようを唐突に口にした。
敦があの場に居残ったそもそもの原因は、
突然捲き起こった銃撃に対する反射として、
咄嗟に背後に居た太宰を敵の銃弾から庇ったためで。
何度言い聞かせても懲りない行為のせいでこんな目に遭っていること、
口惜しやと歯噛みしているうちに、ふと思い起こした彼だったのだろう。
4年前の運命の禍中、
自分をまだまだ未熟だと言う太宰を見返したくてか、
当時の騒乱の元凶だった異邦の戦士を斃してやろうと独断専行をやらかしたものの。
数秒先を読めるという異能には歯が立たず、
負傷し、動けなんだところを、駆けつけた織田に助け出された。
だというに、そんな織田へまで癇癪を起こし、
選りにも選って黒獣で歯向かった芥川少年だったため、
業を煮やしたか 当て身を食らわされ、
その後は意識のない状態だったので、自身の耳目で見聞きしたわけではないのだが。
案じてか こっそりついて来て遠巻きに見守っていた、
配下だった構成員の言によれば、
意識がないまま倒れ伏していた芥川を狙った敵の銃口に気づき、
腕や脚を大きく開き延べて、その身を文字通りの盾にして庇ったそうで。

「防弾チョッキを身に着けていたそうですが、それでも、
 そのような無謀が出来るということが長い間 理解不能でした。」

太宰に認めてもらうには戦果を挙げてこそという
妄執じみた想いに強く憑かれていたせいもある。
だが、それをおいても、
咄嗟にそういう方向へ身が動くという反射は、
危険な戦況に身を置くことが常の自分にはなかなか理解できなんだと、
むずがるように眉を寄せる彼であり。

「そうだね。自分の身をまずは護るのが先なはず。」

裏社会で懸賞金が付いた敦への、ポートマフィアからの最初のコンタクト。
芥川の部下である樋口が偽の依頼者となり、路地裏へ社員らをおびき寄せ、
機関銃での奇襲を仕掛けたあの折に、ナオミが兄の身を庇って飛び出したこともそう。
生き物の生存本能を越えた行為であり、
小説やドラマじゃあるまいに、生き延びてこそと学ばなんだのかと、
常に危険な戦闘の中へ身を置く立場の人間ならば、まずはせぬだろ呆れる所業だが、

「誰も殺したくはないと思う身には、
 そういう特別な反射が備わっているのかもしれないね。」

誰であれという広範なものでなく、とある誰ぞと限定されたものなら尚更に、
その存在を死なせてなるものかと否も応もなく突き動かされてしまう。
自身への過少評価が取らせる献身とやらではなく、
彼らにしてみれば重々前向き、欲張ってこその情が為すことであるのなら、
どれほど口を酸っぱくして言い聞かせても、
辞めさせるのは無理な相談なのかもしれない。

 “こっちからだって
  損なわれてはたまらないほど大事な人なんだってのに。”

人を救えない者に生きる値打ちなぞない、だったか。
そんな言いようを敦少年へ刷り込んだ孤児院の長せんせえを、
今更ながら恨めしく思うばかりの彼らであり。
ああ、その曙の空のような瞳を早く覗かせておくれよと、
声もないまま、沈黙の中へ意識を揺蕩わせておれば、

「?」

ふと。
微妙な物音がすると気がついて、芥川が眉を寄せる。
あまりに小さな小さな物音で、
ドアの向こう、事務方の部屋から聞こえる声や会話に紛れそうなそれだったが、
間近いせいか妙にクリアな代物でもあり。
時計の秒針の音のような堅い小刻みなそれだが、
それにしては間合いがせわしいし、
ちらと見まわしたこの医務室には眼に留まるところには時計の類がない。
安静に休ませる身には耳障りな音だからという配慮だろうが、
では何の音だろかと怪訝そうな顔になったのも一刻。
ハッとするとさっきから見守っている対象を見据え直し、
枕近くへ手をついて、血の気の薄い顔へと自身の顔を寄せた芥川で。

 「芥川くん?」

何か異変でも?と、太宰が案じて問いかければ、

 「歯を、小刻みに鳴らしているようです。」

歯の根が合わぬという言いようがあるが、それほどに悪寒がするのだろうかと、
これでも案じてのことだろう、うっそりと目許をしかめる教え子くんへ、
おやとそちらもついつい瞠目してしまった太宰だった。



 to be continued. (17.11.28.〜)




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 *なんかずるずるとした書きようですいません。
  しかも中途半端なところで時間切れだ。悔しい…。

  低体温症に関して、
  ちょっとばかりご都合的な流れでの治療に持ってってます、すいません。
  体温が31℃を下回ると死に至るおそれがありますが、
  死亡例の大半は体温が28℃を下回った場合です。
  濡れた衣服を脱がせ、暖かい毛布でくるむなどして体を乾かし外部から温めます。
  余程 重度でない限り、敦くんほど若い子なら
  与謝野さんが下した処置と処断で十分だと思われますが、
  異能が関与しているからということで…まま良しなに。